適応障害による休職体験記⑦ ニュースを見がち

体験談

こんにちは、ゆゆゆいです。

このブログに足を運んでいただき、ありがとうございます。

このブログでは、平凡なサラリーマンの私、ゆゆゆいが適応障害を通して、自分の人生において大切なこと、価値観を見つけ、自分の実体験から少しでも人生の考え方の参考になってほしいと思い、発信しています。

先日骨折した足がだいぶ良くなってきました。予定よりも1週間ほど遅れてリハビリを始めたのですが、皆さんも万が一骨折した時に覚悟してほしいのですが、当て木と松葉杖が取れても全く足動かないですよ 笑                                            そもそも骨折した足に体重を乗せないように3週間今までと違う歩き方をしていたので、歩き方がおかしくなりました。3週間程度では歩き方は変わらない? 自分もそう思っていました。本当にぎこちなくなります。寧ろ松葉杖がなくなって不安にさえなりました。 歩くのに使う筋肉を使っていなかったというのもありますが、何よりも骨折した部位に体重をかけるという恐怖心が一番強いです。まだ痛いのは変わりないので、自分から痛みに挑み、徐々に使っていなかった筋肉と合わせて歩けるように動かすのがリハビリなので、無意識の恐怖心を受け入れるところからスタートです 泣         

 でも日毎に確実に痛みも和らいで、可動域が増えていくことで痛みへの抵抗も無くなってきているので順調だと思います。湯船でやっていたリハビリ方法が個人的には効果あるなと思っていて、完治したら紹介しようと思います。                                      

 さて前置きが長くなりましたが、今回の休職体験記のテーマは「ニュースを見がち」です。              ニュースといっても、政治経済関連からスポーツまで何でもというわけではなく、「政治家の汚職やそれによる辞職」だったり、「芸能人のスキャンダル」、「貧困」といったものです。            

 適応障害になる前の自分はというと、テレビはあっても付けない、新聞はとっていない、ネット記事もTwitterでトレンドになったアニメ・声優関連の記事を読む以外全く触れることがありませんでした。その日の天気すらチェックしていなかったので、職場で「今日夕方から雨だから昼までに外作業終わらそう。」と声が聞こえる中、「うわあ傘忘れた終わった。」と全然違うとこで悩んでいる人でした。そんな自分でさえ、少なくとも寝る前は必ずネットニュースを見るほどになりました。            

 ※なお、文章の表現上、ニュースを見ることを「悪いこと」のように捉えられる点があると思いますが、ニュースを見ること自体を悪いことと思って書いてはいませんので、ご承知おき下さい。

 自分がニュースを見がちになったのは何故なのか。それは単に休職して時間があったこともありますが、何よりも「自分よりも不幸な人間を見て、自分を保とうとしていたから」だと思っています。

 適応障害と診断される前から、そう思える症状が出ていた時は、とにかく悲観的で自己肯定感など微塵もありませんでした。「仕事に対する良いイメージが湧かない」「いつまでこんな状態が続くのか」「辛くても仕事しないといけないのなら死んだほうが、、、」など。休職して、復職が近づいた時も「復職してまた働けなくなって、役に立たなくなったらもう終わりだ」「役に立たない自分なんている意味ないな」酷い時はこんなことばかり考えていました。

 精神科医の和田秀樹さんの書かれた「適応障害の真実」という本に、適応障害になりやすい思考パターンについて、① かくあるべし思考、② 過度な一般化、③ 完璧主義、④ レッテル貼り、⑤ 読心というものが挙げられています。「かくあるべし思考」とはいわゆる「こうあるべきだ、こうしなければならない」という決めつけ、「過度な一般化」とは「普通は〜だろう」という固定観念、「完璧主義」は「100以外は全て0と同じ」という2極化、「レッテル貼り」は「あいつは就活失敗したから落伍者だ、俺は適応障害という精神疾患に罹ったから落伍者だ」というこれも決めつけ、「読心」は「あの人は俺のことを悪く思っているに違いない」という思い込みのことです。              

 さっきの自分がメンタル最悪の時の考え方に当てはめると、「普通は適応障害なんかならずに仕事は進められるものである、些細なことで失敗したら意味はなく、そんなことも出来ない自分は出来損ないで、上司や同僚も使えない奴と思っているに違いない」こんな感じになります。。。          

 そりゃあ死にたくもなるわなあと思います。この考え方の中に、自分を救ってくれる要素が一つもないのですから。

 こういう状態の時、以前の記事「自己啓発本はかえって毒」で紹介したように、ただでさえ適応障害になっていない人と比べて心が疲弊して、自分に対する考え方が低い傾向にあるのに、頑張りが足りないだの、もっとやる気を出せだのエネルギーに満ちた強いメッセージを言われるのは酷でしかありません。本で求められる状態にもっていくには、まず心の疲労を回復し、さらにモチベーションを高くして臨むのが理想的で、それには何倍ものエネルギーを必要としてしまいます。

 そんな時に、自分のメンタルを保つ手段として、自分のモチベーションを高めることよりもずっと簡単な方法があります。それが自分よりも不幸な人を見て安心感を得ることです。言葉遣いが悪く気持ちを害する人がいたら申し訳ありませんが、いわゆる「世の中には今の自分よりも辛い状況にいる人はこれだけいて、その人たちに比べればまだずっとマシだから頑張れそうだな」といったものです。

 自分が適応障害になった当時は、新型コロナウイルスの影響で急遽仕事がなくなり、解雇されてホームレスになった人や、生活の困窮で炊き出しに並ぶ人たち、倫理性を欠いているとメディアを中心に批判が相次ぎ活動自粛になった芸能人、不正を追求され辞職した政治家などのニュースをよく見ていました。YouTube動画やYahoo!のネット記事などは探しやすい、かつキャパも大きいので、意図して自分から探そうと思えば、毎日いくらでもこういう情報は見つけることができました。他にもとりわけ仕事が原因による不安だったことから、残業時間が百何時間という「社畜」と呼ばれる人たちのYouTube動画なども頻繁に見ていました。

 ここで言いたいことは、それを見て自分を落ち着かせるなんてその人たちに失礼だ、とかそういうのは見るべきじゃないということではありません。自分に対して悲観的に思っているほど自分の気持ちを上げることはとても辛く、自分よりも不幸だなと思う人を見ることで自分はまだ幸せな方だなと思うことぐらいしか自分の気持ちを保てなくなっているということです。

 もし、最近辛いニュースが目に入りがちな人は、それを無意識に意図して見ていませんか。その場合、少しでも日常生活に対して慢性的な不安など、思い当たる節はありませんか。それはもしかしたら、自分は今精神的にきつくなっているサインかもしれません。その際は、まず早めの受診をお勧めします。無意識に選択的にそういう情報を取得しようとしている以上、自分の状態が自分で理解できなくなっていることも考えられます。自分だけで判断せず、相談できる人に相談しましょう。                                            

 これからも、自分の経験から皆さんの役に立てそうだなと思う内容を発信していきたいと思います。 今日もありがとうございました。

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