こんにちは、ゆゆゆいです。
このブログに足を運んでいただき、ありがとうございます。
このブログでは、平凡なサラリーマンの私、ゆゆゆいが適応障害を通して、自分の人生において大切なこと、価値観を見つけ、自分の実体験から少しでも人生の考え方の参考になってほしいと思い、発信しています。
今回は、自分が適応障害で休職した時の話をしようと思います。
仕事上の問題で7月に適応障害と診断された後、この職場で仕事を続けることはできないという考えで頭がいっぱいになり、診断を受けた週明けの月曜日に、上司に退職の旨を報告しました。
しかし、今は冷静な判断ができていない状態だろうからまずは休みをとった方がいいと指示があり、約1週間の休暇を取りました。しかしながら、半年以上も体に異変が出るまで追い込まれた自分の心情を、1週間で冷静になれるわけはなく、そこから病気休暇、休職という流れで8ヶ月休みを取ることになりました。
一方で、休暇をとって1ヶ月程が経ったあたりから、次第に今の自分の現状を客観的に見ることができるようになりました。あの時を振り返ると、休暇をとる前よりも自分以外のことに目を配れるようになり、心にゆとりが出来たのではないかと思います。
では、この1ヶ月で自分の現状を客観的に見られるようになるまで回復するにあたり、何が効果的だったのか?自分は大きく分けて2つあったと思います。
1つ目は、今回のテーマである「職場から距離を取ること」、2つ目は、「睡眠をとること」です。後者については、次回話そうと思います。
では、適応障害の回復にあたって必要だと考える「職場から距離を取ること」について説明します。 この「距離を取ること」というのは、「気持ちの面で仕事の事を考えない」ではなく、「そもそも職場から物理的に遠い所に移り、生活する」ということです。具体的には、職場から遠い実家に生活を移し、静養していました。
職場に勤務し始めた頃は、実家から電車で通っていました。しかし異動が決まり、周りの先輩たちから「あの部署は多忙期は本当に残業が酷く、ゆゆゆい君電車通いだと終電間に合わなくて帰れなくなるかもよ。」と言われたほどでした。さすがにそれは冗談だろうと始めは半信半疑でしたが、年度末に異動先の上司から同じ話を聞かされ、冗談だと思っていた懸念事項が本当だったと知った時、一抹の不安と「これは職場近くに下宿するしかない」と迷わず腹を括りました。いやはや生真面目なヤツですよね 笑
先ほど話した休みを取り始めた最初の1週間は、その下宿先で静養をとっていました。しかし、ここでまた変な生真面目が発動してしまいました。
「『あいつ(ゆゆゆいのこと)のせいで余計な仕事が増え、面倒なことになった』と思われていないか」
静養をとるつもりが、かえって職場での自分の見られ方を気にするあまり、余計落ち着かない日々を過ごすことになりました。ずっと家にいても生活はできないので、買い物に行こうにも、どこかで職場の人に遭って、『あいつ仕事の時間のはずの日中になんで呑気に買い物なんかしてるんだ?』『静養しているはずなのになんで外出しているんだ?』と思われないか・・・ こんなことを考え始めたら、寧ろ状況が悪化してもおかしくありません。
「この職場に近い家で静養はできない」
そう思った私は、実家に連絡をして、しばらく帰省することにしました。家族も快諾してくれて寧ろ「もっと早く帰ってこい」とも言われました。本当にありがたかったです。
帰省してすぐの頃は、まだ職場のことが気掛かりになっていました。しかし、職場から遠い実家にいることで、同僚や先輩に遭うという可能性がほぼ皆無になったことで、気になっていた大きなものが一つ減り、それが自分を客観的に見つめることができるほどの心の余裕が生まれることにつながったということです。
よく、「仕事のことは忘れてゆっくり休みなさい」という他者を労わるときの典型的なテンプレ表現がありますが、言われる立場になって考えると、「それができたらこんなことにはなってねえよ」と言いたくなります。この休みをとった間で得た教訓として、「意識する」「気をつける」「気持ちを切り替える」などの考え方を変えようとする言葉は、意味をなさないと思っています。その場では注意を払っても、毎日それを気にかけてはいられません。そんな時に大切なのは、「周りの環境を変えること」です。今回の場合は、静養する生活環境を『職場に近い下宿先』から『職場から遠い実家』に変えたことです。何か特別なことをしたわけではないので、再現性は高いと思います。もしこれと似た境遇で今困っている方がいたら、真っ先にこれをお勧めします。是非試してみてください。
次回は、自分の現状を客観的に見られるようになるまで回復する上で効果的だった2つ目の「睡眠をとること」について話そうと思います。言葉だけでみたら「そんなの当たり前じゃん」と思うと思います。ですが、これがどれだけ大事だったか、またただ寝るだけというだけではないことを話そうと思います。今日もありがとうございました。
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