適応障害による休職体験記② 楽しかったと思えたものが楽しく思えない

体験談

こんにちは、ゆゆゆいです。

このブログに足を運んでいただき、ありがとうございます。

このブログでは、平凡なサラリーマンの私、ゆゆゆいが適応障害を通して、自分の人生において大切なこと、価値観を見つけ、自分の実体験から少しでも人生の考え方の参考になってほしいと思い、発信しています。

前回から、自分が適応障害になってから職場に復帰するまでの8ヶ月間の体験記をお話ししています。体験記とありますが、ほとんどが失敗談です 笑 でも、だからこそ自分は気をつけようだったり、逆に自分にはこれが合うかもという何かの気づきになれるんじゃないかと思っています。

最初のテーマは、「休み初めてからしばらくは気持ちが落ち込み続ける」でした。今まさに適応障害の当事者になられた方にとっては、いきなり嫌な話をしてしまったかもしれません。 今回のテーマである「楽しかったと思えたものが楽しく思えない」もまた、適応障害、またはこれに近しい精神疾患の方は経験があるのではないかと思います。

この「楽しかったと思えたものが楽しく思えない」とは、要するに「今まで楽しくて好きでやっていたことが、なんか作業染みてしまってどこに楽しさを見出していたのかわからなくなる」ということです。

自分はスマートフォンゲームが好きで、とりわけモンスターストライクやアズールレーンといった対戦ゲームからアイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージ(通称デレステ)やバンドリガールズバンドパーティ(通称ガルパ)といったリズムゲームが大好きで、大学生で初めてスマホを買った時からたくさんのゲームをプレイしていました。(今後こういうゲームの話もしたいなと思っています。)

仕事を休むことで、今まで時間が取れなくてやれなかったゲームを思いっきりやろうと意気込んで再開してみたのですが、いつもなら多少自分の思った形にいかなくても「次はうまくやろう」といった切替が自然とできていたところ、1度思った通りにできなかったことをずっと根に持ってしまい、遂には打ち込もうと予定していた時間よりずっと早い段階でやる気がなくなってしまったのです。打ち込む体力もなければ気力も無くなったといった状態でした。「飽きてしまったのかな」という気持ちも最初はありましたが、どのゲームも打ち込めなくなってしまい、休み始めて1週間ほど経った後にこの違和感に気づきました。

他にも、自分は車でアニメの聖地巡礼の旅行をすることが好きで、休み始めた7月にゆるキャン△というアニメで使われた山梨県のほったらかし温泉と笛吹川フルーツ公園に旅行に行きました。温泉もデザートも堪能してとても楽しかったのですが、いつもは車で移動中もまた見たことのない新しい景色を見ながらドライブするということに楽しみを見出していたところ、偶然下道で交通渋滞に遭い、自分ではどうすることもできない仕方のないことなのですが、予定通りの時間に目的地に着けなかったことについて、しばらく苛立ちと後悔の念に駆られてしまいました。今振り返っても、なんであんなに自分ではどうすることもできないことに躍起になってどうにかしようとしていたのかわかりません。

これらの経験を踏まえて思ったことは、「気持ちに余裕がなくなっている」という点です。今までなら、「それも楽しみの一つ」と自然に考えることができていた「ゲームのミスプレイ」や「予期しない交通渋滞」が、自分の中でこうだと思ったことから外れることで、「次どうしようかな」という考えにいかず、「どうしてこうなった」に目が行ってしまいました。おそらく、長期間にわたって仕事の中でこの考え方が習慣化してしまったのだと思います。担当部署の中で自分が業務の先々を知らないことで動きが自分だけチグハグで空回りし、組織のために頑張りたいけど組織として自分はどう立ち回ることを求められているのかが見えないことで上手く動けず、都度周りを振り回してしまったことに後悔する日々を送っていたので、切替ができなくなっていたのだと思います。

気持ちの切替に時間がかかる人は結構いるのではないかと思います。自分もそうです。小学生の頃から、テストで漢字の書き取りミスして間違ったことを悔やんだり、運動会の短距離走でスタートが遅れたことを引きずったり、書道展でクラスの代表に選ばれなかったことに後悔したり・・・。今思えばそんなことで悩んでいたのかと思ってしまいますが、当時はそんなことで頭がいっぱいだったこともあります。 それでも、時間が経てば自然と自分の中で整理ができて、いつの間にか忘れているという感じでうまく切替ができていたのだと思います。ですが、今回はそれが常態化したことで、気持ちを切り替えられないまま「自分はなんでこうなんだ」という念がどんどん積み重ねられ、これが趣味を楽しめなくなった要因だと考えています。

これを書きながら、やっぱり自分がかかった適応障害という病の怖さを今感じています。 ですが、伝えたいことは前回と同様、「適応障害は苦しいんだよ」という不安を煽ることではなく、「思ったようにいかなくて不安に感じなくていいんだよ」ということです。ずっと苦しい思いをして、体力的にも精神的にも限界な状態が当たり前になる程、自分を追い詰めてしまったことで起きている適応障害の弊害です。間違いなく心身ともに疲弊しています。ここを理解しているだけで、自分の状態を客観的に考えることができるのではないかと思います。 変わった自分を必死に治そうと焦る必要はありません。体力も気力も減って、今まで通りのパフォーマンスを発揮できない自分に落胆する必要もありません。それだけ頑張ったってことですから、その分しっかり休みましょう! 次回も、自分の休職体験記を発信していこうと思います。今日もありがとうございました。

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